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世界遺産 ドイツのケルン大聖堂|その歴史と見所を写真で紹介


お二人で登れば親密さがアップすること間違いなしデス!

さて、今回は世界遺産、ケルン大聖堂があるドイツのケルンをご紹介しましょう。
(ケルン大聖堂1996年登録:文化遺産)

「ケルンを見ずしてドイツを語るなかれ」と言われているドイツの代表的な都市です。

ローマ帝国の植民地として建設されたライン川中流の古い町で、ケルンの名はラテン語で植民地を意味するColonia に由来しています。

ケルン1.jpg
(ライン河に架かるドイツァー橋の上から、ケルンの街を望む。)


現在でもイタリア語やスペイン語ではこの名前が使われていて、フランス語や英語のCologne(コロン)も同じ由来です。

ちなみに香水の一種であるオーデコロン(eau de Cologne) は、フランス語で「ケルンの水」という意味です。


まずはケルンの歴史についてご案内しましょう。


街の歴史は紀元前1世紀にまで遡ります。

古くからライン川の水運の要衝として栄え、交易と地域政治の中心として発展してきました。


ローマ帝国のゲルマイア支配の重要な拠点であったことから、多くのローマ時代の遺跡が残されています。

80年には水道橋が建設され、1世紀末にはローマ帝国の属州、下ゲルマニアの首都となり、人口は約45000人でした。


ローマからキリスト教が早くから伝わり、
ケルンには4世紀に司教座が置かれ、後に8世紀末には大司教座が置かれました。
*司教座:カトリック教会の各教区の中心となる教会のこと


ケルンの初代主教のマテルヌスよって最初の大聖堂が建てられ、794年に大司教が任命されました。

大司教座が置かれたケルン一帯はケルン大司教に帰属する宗教領邦となったのです。

また、大司教座付属学校の置かれたケルンは、政治のみならず文化の中心にもなりました。


13世紀にケルンが自由都市となると、ケルン大司教はボンへ住居を移し、1821年までケルンに帰って来ませんでした。

30年戦争後、一時衰退したケルンでしたが、19世紀には大聖堂が増築されました。

しかし、フランス革命以後は、選帝侯制度の廃止、大司教座領の廃止などからライン流域の一都市として、商業の中心として発展しました。

第二次世界大戦の折には、激しく空爆を受け市内の9割の建物が破壊されました。

1945年3月初めから市内に立てこもって抵抗をするドイツ軍と、アメリカ軍との間で激しい市街戦となり、3月5日にケルンは陥落しました。

しかし、ケルン大聖堂だけは奇跡的にも崩壊を免れ、絶望の淵に陥っていた市民たちの希望となったのです。

その後、この町は見事に復興を果たし、今日に至っています。


では、世界遺産でもあるケルン大聖堂をご案内しましょう。

ケルン大聖堂.jpg

世界遺産に登録されているケルン大聖堂は町のシンボルです。

ドイツ最大級のカーニバルが開催されることでも知られています。

正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂といいます。
(聖ペトロとマリアの大聖堂の意味)

ゴシック様式の建築物としては世界最大の建物です。

高さが157mの大聖堂は、アメリカの高さ169mのワシントン記念塔が完成する1884年までは、世界一の高さを誇る建築物でした。

現在の大聖堂は3代目です。

初代の木造大聖堂が完成したのは4世紀のことでした。
正方形の建物で、最も古い聖堂として知られていました。

2代目の大聖堂は818年に完成し、
1164年に東方三博士の聖遺物が置かれたことで多くの巡礼者を集め、ケルンの発展に貢献しました。

*東方三博士とはイエスが生まれた時に星のお告げによりやってきた3人の賢者のこと

しかし、1248年4月30日に火災によって焼失してしまいました。

現在の3代目の建物はその後すぐに再建が始まりました。

しかし、16世紀に入って宗教改革が起こり、カトリック教会であった大聖堂は財政難に陥り、工事が中断されてしまいました。

建設が再開されたのは19世紀になってからのことです。

1842年にやっと建設が再開され、もう一つの塔が建設され、全てが完成したのは632年の時を経た1880年のことでした。

「皇帝の鐘」と称される鐘が南塔に取り付けられていたのですが、第一次世界大戦の折に接収され、溶かされて武器に使われてしまいました。

また、第二次世界大戦の時に英米軍の空襲で14発の直撃弾を受けたため内部は激しく損傷を受けました。
しかし、祭壇のステンドグラスは奇跡的に破壊を免れました。

全体は崩れなかったため、戦後市民の手により復旧工事が行われ、わずか10年で元の状態に再現されました。

では、ケルン大聖堂内の見所をご紹介しましょう。

まず、目を引くのが《バイエルン窓》です。

バイエルン王ルードヴィッヒ1世(1825-1848)が奉納した事からこの名前が付けられています。

バイエルン窓.jpg
(バイエルン窓)

≪聖母子と東方三博士の礼拝≫

聖母子と東方三博士の礼拝jpg.jpg
(聖母子と東方三博士の礼拝)

ケルンの画家シュテファン・ロホナーの最高傑作と言われています。

1440年頃描かれました。
ルネサンス時代の絵のように人物が生き生きと描かれています。

題材は新約聖書に記された、東方三博士の礼拝です。
キリストの誕生を予言した占星術の学者で、三賢者とも言われています。

それぞれ、若者の姿の賢者が黄金を、
壮年の姿の賢者が乳香を、老人の姿の賢者が投薬を贈ったとされています。

1月6日が公現祭(エピファニア)とされ、
イエスの誕生日・クリスマス〜公現祭・エピファニアまでの間にキリスト教の重要な儀式が行われています。

≪中央祭壇にある三博士の柩≫

東方三博士の棺.jpg

三博士の頭蓋骨は、1164年ライナルド大司教により、ミラノからケルンにもたらされました。

三博士の頭蓋骨は“聖遺物”です。

聖遺物が大聖堂にもたらされたことで、ケルンの大聖堂はヨーロッパでも最も重要な教会のうちのひとつとなったのです。

高さ1,53m幅1,1m長さ2,2m。木製の聖箱には金細工を施した銀、銅板が張られています。

1000の宝石と真珠、300以上の準宝石とカメオが取り付けられています。

彫刻は新約聖書が旧約聖書に基づくものであることを教えています。

全面の中央には幼子イエスを抱いたマリアを礼拝する三賢者の彫刻が施してあります。

聖箱の中に王冠を被った三賢者の頭蓋骨が収められています。
大聖堂の最も高価な宝です。


≪ゲロ大司教の十字架≫

976年ゲロ大司教によって制作された十字架像です。

ゲロ祭壇.jpg

等身大より大きく、西ヨーロッパでは最大のキリスト像といわれ、その後のヨーロッパのキリスト像の原形となった貴重な像です。

ヨーロッパ最古の記念十字架でもあります。
祭壇は1683年製です。

《聖クララの祭壇》

聖クララの祭壇.jpg
(聖クララの祭壇)

この祭壇は、1360年頃にフランシスコ会修道女の聖クララに捧げるために作られました。

幅は6メートルです。

1811年にこの大聖堂に納められました。
*聖クララ:聖フランチェスコに最初に帰依した者の一人。
フランチェスコ会の女子修道会クララ会の創始者。

最後に・・・

ケルン大聖堂は階段で登ることもできます。

その数、なんと533段

ケルン大聖堂看板.jpg
(案内看板:533という数字が・・・)

登るにはそうとう疲れますし覚悟が必要です。

でも、いたわり合いながら登れば
お二人の“仲”が今以上に親密になること間違いありません。

是非、挑戦してみて下さいネ❗






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